政府は、新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」の実践を提唱しています。ヒトとの間隔を2メートル(最低1メートル)空ける、マスクをほぼ常時着用する、手洗い・手指消毒、こまめな換気など、まさに文字通り「新しい」(もしくは大きく違う)生活となっています。
公共交通機関やカフェなどの飲食店を利用すると、新しい生活様式が実践されていることを実感できます。利用者同士は距離を取っており、飲食店では、座席数が減っていたり、利用不可とする場所が設けられています。また利用者のほとんどは、飲食店であってもマスクを着用しており、飲食する時だけマスクを外したり、位置をずらしています。
新しい生活様式が、少しずつ普及しているためか、企業も行動様式を変えるのではないかという見方があります。代表的な見方の一つが、オフィスの縮小です。政府が緊急事態宣言を発出したことで在宅勤務が一気に普及したこともあり、企業はオフィスを縮小する動きを強めるという見方です。
企業がオフィスを縮小すれば、レンタルオフィス、シェアオフィス、バーチャルオフィス、カプセルオフィス、サテライトオフィス、ワーキングスペースといったオフィスサービスがより普及するとの見方があります。
緊急事態宣言の発出によって営業不能になった貸オフィス、貸事務所、貸会議室、賃貸事務所といったサービスも再び利用されるようになりました。喫茶店、コーヒーショップといったカフェや、ネットカフェ、ファミレス、ファーストフードなど、飲食を提供する場所で仕事をする方も増えてくるとの見方もあります。こうした業態では、電源や無線Wi-Fi(ワイファイ)が用意されており、いわゆるモバイルワーカーの仕事場として利用可能です。
企業がオフィスを縮小する動きはすでに始まっています。ザイマックス不動産総合研究所の調査によると、2020年4-6月期のオフィス空室率は1.01%と、同年1-3月期の0.71%から上昇しました。
同調査によると、今後2~3年程度先までにオフィス面積を「縮小したい」と考える企業は14.3%と、昨年から約10ポイント増えた一方、「拡張したい」企業は12.2%とほぼ半減しています。この調査は2016年に開始されましたが、縮小したいとの回答が拡張したいとの回答を上回ったのは初めてだそうです。
都心5区(千代田、中央、港、新宿、渋谷)の空室率は2月以降、上昇傾向にあります。三鬼商事の調査によると、都心5区の7月の空室率は2.77%と、5カ月連続で上昇しています。空室率が2%台を記録したのは、2018年10月以来21カ月ぶりだそうです。こうした調査結果をみると、企業はオフィスを縮小させる意向が強いと考えたくもなります。
企業は、このままオフィスを縮小する動きを続けるのでしょうか。ただ、最近の様子を見ていると、そうとは考えにくくなってきたように感じます。むしろオフィスを縮小させる動きは一服するのだろうと思えます。
(1)企業にオフィスは必要
企業がオフィス縮小の動きを続けないだろう、と考える理由はいくつかあります。理由のひとつは、企業はオフィスを必要とするというシンプルな考えです。
新型コロナウイルス感染拡大を受けて、ほとんどの従業員を対象に在宅勤務体制に移行した企業の1つにGMOインターネットグループがあります。同グループは、2020年8月時点でも在宅勤務体制を続けていますが、渋谷の一等地であるセルリアンタワーと、渋谷フクラス(東急プラザ渋谷)に2つの本社を構え、今後も両本社を維持する意向を示しています。両本社の家賃は月額約3億円だそうです。経費を削減したいのであれば、在宅勤務体制が続いている以上、両オフィスを解約しても不思議ではありません。
同グループ代表の熊谷正寿氏は、オフィスを維持する理由として以下を指摘しています。
・象徴としてのオフィスは必要。
・オフィスは、信用力、ブランド力、ライバルとの差別化、求人における価値を提供する。
・企業を永続的に存続させるためには、一等地のビルにオフィスを構えていることが長期的に見て、力の源泉。
・オフィスというリアルな場所でのフェース・トゥ・フェースでのコミュニケーションの蓄積(コミュニケーション貯金)があったからこそ、在宅勤務体制にスムーズに移行できた。
GMOに限らず、企業の多く(とくに大企業)は、在宅勤務体制を続けながらも、オフィスを大規模に縮小する動きを見せていません。むしろ企業は、オフィスと在宅で勤務場所を使い分けています。
(2)無理して在宅勤務体制をとる必要がない
企業の多くが在宅勤務体制を構築した大きな理由として、政府による緊急事態宣言の発出があります。政府が外出自粛を呼びかけたことで、社会的責任が問われがちな企業ほど、従業員に出社を強いることは、社会的に難しかったと思われます。
新型コロナウイルスの感染拡大は、緊急事態宣言の発出をきっかけに沈静化し、政府は緊急事態宣言を終了させました。これを機に、人々の外出自粛の動きも解消に向かい、企業の多くは、従業員の出社を解禁しました。ただ、その結果、新型コロナウイルスの感染が再び拡大しています。
新型コロナウイルスの感染が再び拡大しているのであれば、政府は緊急事態宣言を再び発出しても不思議ではありません。しかし政府は、宣言を再び出すことに非常に慎重な姿勢を示しています。宣言を出すことで、国民や企業に対し給付金などの経済支援を追加するよう迫られることを恐れているとの見方もあります。
政府が緊急事態宣言を出さないのであれば、企業は無理をしてまで在宅勤務体制を続ける必要性が薄れます。それならば、企業はオフィスを縮小せず、これまでと同じようにオフィスを用意するのが自然となります。
(3)企業にはオフィスを維持する余裕がある
新型コロナウイルスの感染拡大で、世界的に景気は悪化しました。20年4-6月期の日本のGDP成長率が戦後最大のマイナスを記録したのを覚えている方も多いと思います。景気が悪いのであれば、企業は経費削減を強化したいと考えるのが自然です。たとえ一部とはいえ、従業員がオフィスに来ず、在宅勤務を続けるのであれば、オフィスの稼働率は低くなりますので、オフィス面積を減らすことで、経費を減らす動きが強まるとの見方はもっともらしく思えます。
しかし、リーマンショックが起きた09年から11年の時と違い、日本企業は財務基盤が当時よりも強固になっています。日本企業の自己資本比率は約44%と、戦後最高を更新しています(財務省・法人企業統計)。たしかに景気悪化で企業は苦しい状況にあります。しかし、過去の景気悪化局面に比べると、企業の財務体力は強いのも事実です。
企業に余裕があることを示唆する例として雇用情勢があります。20年6月の失業率は2.8%と、新型コロナウイルスの感染拡大前に比べて上昇しているものの、リーマンショック当時の約5%から比べれば低い水準にあります。
失業率が過去に比べて低い水準にとどまっているのは、企業が雇用調整(いわゆるリストラ)を過去ほど進めていないためです。雇用調整助成金などの制度もあって、企業は過去最大の景気悪化に直面しているにも関わらず、雇用を維持しているといえます。言い換えると、企業は、雇用を維持できるだけの余力があると考えることもできます。
企業に余力があり、オフィスに必要性があるならば、企業はオフィスを大きく縮小することはないでしょう。企業にとっての新しい生活様式は、オフィスをむやみに減らすことではなく、新型コロナウイルスを想定したオフィスのあり方を再構築することにあると思われます。